6月1日は気象記念日ですね
6月に突入しましたね!5月があまりにも暑過ぎて,なんだか「まだ6月??」と錯覚してしまうのは,私だけでしょうか.さて,テレビでも今日は朝からよく言われていますが,6月1日は「気象記念日」です.1875年に日本初の気象台(現気象庁)が設置されて,1日3回の気象の観測と地震の観測が始まったということで気象記念日になっているわけですが,その後,1884年6月1日に毎日3回の全国の天気予報が発表されるようになったそうです.その最初の天気予報は,朝6時に発表された「全国一般風ノ向キハ定リナシ.天気ハ変リ易シ,但シ雨天勝チ」というもので,今から見ればとても大雑把なものですが,それと同時に当時からしてみたら,天気予報がこんな130年後にはこんなことになってると想像できていたでしょうか?うーん,待てよ,科学者は未来の姿を想像できたからこそ,進むべき方向が分かって,だからここまで進んくることができたのだろうか….まあ,いずれにしても,今の天気予報が当時とは比べ物にならないほどスゴイということです.こんな昔から天気予報がある一方で,今やお天気の情報なんて巷に溢れているにも関わらず,その危険性などは具体的に伝わっていないのです…ということを,最近身を持って思い知らされました.
<2003年の夏…>
思い出したんですよ,昔のお天気を!2003年夏,当時私はお天気の「て」の字にも興味無しの,全く違うお仕事をしていたのですが,その時の夏があまりにも冷夏で驚いたことを思い出したのです.仕事の関係で,逗子海岸に海の家を建て,夏中そこで過ごしていたのですが,夜は部屋に暖房をかけないと居られない寒さ…まあ,夏なので薄着しかなかったからというのもありますが.とにかく,寒かったんです.ご存じの方も多いと思いますが,その年は春から記録的な日照不足,低温が続いており,冷害が深刻でした.その夏だったのです.そして,もう一つその夏に経験したことがありました.それが台風の接近です.
<夏の海で,台風の接近>
台風が接近していることは,テレビのニュースで知っていました.だからこそ,テンションが上がり「いい画が撮れるぞー」と意気込んで,朝から海の家の周辺を撮影していました(そういう仕事だったので).午後になると,いよいよ雨や風が強くなってきて,それだけではなく潮位も上がってきました.逗子海岸といえば,ただでさえ海岸が狭いところなのですが,夕方になるともう,海岸沿いを走っている道路まで波が達していました.深さはそんなにありません.ひざぐらいだったでしょうか.それでも,水のエネルギーは大きく,大きめの波が来た所で私は足元をすくわれて,道路側に流されました.よくよく調べて見れば,台風が上陸したのは西宮あたりでそこから北東進していました,つまり関東地方は台風の中心の東側に位置して,南寄りの風がガンガン入ってくる所に位置していたわけです.その南側に開いた相模湾にいたのです.相模湾は奥が狭くなっているような所ではありませんが,場所としては「ここは一番危険ですよ」という所に居たわけです.しかも,思いっきり満潮時刻と台風接近が重なっているという,教科書どおりのダメなパターンで,まさに「こういうことをしては絶対いけません」の見本的行動だったわけです.
もう,いい大人だから「台風が危険」ということは分かるのですが,具体的に何が危険なのか?いつ危険なのか?そういうことは全く分かっていないということです.今,私は知っているから,台風の時に海に行く人に対して当たり前のように「なんでこんな時に海行くかな!危ないの分かんないのかな!」と目くじら立てていますが,その張本人も分かっていなかったじゃないですか.だから,分からないんですよ,伝わってないんですよ!ということを,自分自身を振り返って気付いたのです.せっかく,こんなバカな経験をしたわけですから,これからは自分の講座でも,こういう経験談も話して,少しでも危険度を伝えて行こうと思いました…
あと,皆さんも自分が経験した印象的なお天気,調べてみてはいかがでしょうか!今日,私が振り返ったこと位は,気象庁のホームページで調べられますよ!